東京地方裁判所 昭和43年(ワ)1543号 判決 1971年11月30日
原告 手塚慶子
<ほか三名>
右四名訴訟代理人弁護士 成富信夫
同 成富安信
同 石川博臣
同 山本忠美
同 畑中耕造
同 鳥本昇
被告 株式会社千代田商会
右代表者代表取締役 橋本忠政
<ほか一名>
右二名訴訟代理人弁護士 藤平国数
右復代理人弁護士 浜崎千恵子
同 山口博
主文
一 被告らは、各自、原告手塚慶子に対し金一七八万三三三三円、同手塚一郎、同手塚二郎、同手塚震三郎に対しそれぞれ金一一八万八八八八円およびこれらに対する昭和四三年二月二三日以降各完済まで、年五分の割合による金員の支払いをせよ。
二、原告らのその余の請求を棄却する。
三、訴訟費用はこれを四分し、その三を原告らの、その余を被告らの、各負担とする。
四、この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、かりに執行することができる。
事実
第一請求の趣旨
一 被告らは、連帯して、原告慶子に対し七八五万五六〇六円、同一郎、同二郎、同震三郎に対しそれぞれ三九〇万三七三七円およびこれらに対する昭和四三年二月二三日以降各完済まで年五分の割合による金員の支払いをせよ。
二 訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決および仮執行の宣言を求める。
第二請求の趣旨に対する答弁
一 原告らの請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
との判決を求める。
第三請求の原因一、二≪省略≫
三 (損害)
(一) 訴外敏雄に生じた損害
同人は、本件事故の衝撃によって脳内出血症の傷害を受け、慶応義塾大学病院(以下、慶応病院という)に昭和四〇年三月一九日から翌四一年一一月五日まで、伊豆韮山温泉病院(以下、韮山病院という)に同日から翌四二年五月一三日までそれぞれ入院して治療を受け、以来自宅において治療を受けたが、なお右半身麻痺、失語症の後遺症を残した。
≪省略≫
第四被告らの事実主張
一 (請求原因に対する答弁)
(一)、(二)≪省略≫
(三) 同第三項の事実は知らない。
亡敏雄の脳出血症は、いわゆる脳内出血であり、同人の年令(当時七五才)および過去一〇年以上にわたってかなり進んだ動脈硬化症を呈していた事実に照らすと、同人の本件傷害は、従前の高血圧症に起因して生じたもので、本件事故との因果関係は否定さるべく、かりに本件事故が間接的誘因となったとしても、本件症状は、同人の特別な体質ないし被害者側の特別事情によるものであるから、その全損害を被告らに負担させるべきではない。
二 過失相殺の抗弁
本件事故は、被害車運転の訴外平井が、安全を確認しないまま一方通行の道路から指定方向とは逆に加害車道路上に後退進入してその進行を妨害した過失によって発生したものであり、同人の過失は、被告橋本の過失に較べてより大であるというべく、亡敏雄と川崎重工およびその従業員平井との関係からみて、本件賠償額算定に当っては同人の過失が斟酌さるべきである。
第五抗弁に対する原告らの答弁
被告らの抗弁事実は、これを争う。
亡敏雄および訴外平井は、ともに川崎重工に勤務するものであって、その間に使用者、被用者の関係はなく、亡敏雄にとって右平井は被害者側にあるとはいえないから、被告らの主張は失当である。
第六証拠関係≪省略≫
理由
一、(事故の発生)
請求原因第一項の事実は、当事者間に争いがない。
二、(責任原因)
被告会社が本件加害車を所有して自己のため運行の用に供していたことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば、被告橋本は、その父の経営する被告会社に専務取締役として勤務し、被告会社はいわゆる同族会社で、被告橋本は父の後継者たる立場にあり、本件加害車を父と同被告の専用車として利用し、日曜日を除きほとんど毎日これを通勤用ないし業務用に使用していたことが認められ、右事実によれば同被告は加害車の利用を包括的に許され、これを自己の意思により自由に利用しうる立場にあったものとみることができるから、同被告も、本件加害車の運行供用者として、原告らに生じた損害を賠償する責任があるというべきである。
三、(損害)
(一) 亡敏雄の傷害
≪証拠省略≫によれば、亡敏雄は、本件事故後、脳卒中発作状態となり、右片不全麻痺、失語症等の症状を呈して、慶応病院に昭和四〇年三月一九日から翌四一年一一月五日まで、韮山病院に同日から翌四二年五月一三日まで入院治療を受けたが、なお右片麻痺、失語症の症状を残したまま退院し、以後自宅において昭和四四年七月三〇日急性肺炎によって死亡するに至るまで養生を続けていたことが認められる。
(二) 因果関係
被告らは、亡敏雄の右症状と本件事故との因果関係を争うので、この点につき判断する。
1、衝突の程度
≪証拠省略≫によれば、本件事故は、加害車(ビュイック)右前部が、被害車(メルセデス・ベンツ)の右側後部フェンダー上部に衝突したものであり、各車両の破損状況は、加害車両では右前部フェンダー部分がくの字状に曲りはしたが右前照灯のガラスは破損しておらず、一方被害車両は右後部フェンダー上部が幅約一米、高さ数十糎の範囲で凹損し、右後部後尾灯が破損した程度であること、被害車には、左ハンドルのため運転者平井が前部左側に、その右側助手席に訴外佐藤剛、後部座席右側に亡敏雄、その左側に約一〇糎の間隔を置いて訴外池田富寿が乗車していたが、右池田は衝突前に加害車の接近に気付いて両足で床をふんばって身構えたところ、亡敏雄はこれに気付かず、衝突の衝撃で左顔面を池田の右顔面に激しく打ちつけたこと、その際、亡敏雄は、「痛い」と口走ったが、亡敏雄はそのまま池田に身体を預けるようにもたれて動かなくなり、池田が亡敏雄を座席にかけ直させたが後によりかかったまま顔面が青ざめ、二、三言口を利いたまま黙り込んでしまったので、救急車で病院に運び入れたこと、右衝突の際、亡敏雄以外、特に傷害を負った者は居なかったことがいずれも認められる。
右事実によると、衝突の程度そのものは通常人に傷害を与える程のものではなかったにしろ、亡敏雄は、右衝突によって身体の変調を来たし、以後の症状に繋ったのであるから、特段の事情のない限り本件事故が右症状発現の契機になったものと推認すべきである。
2、亡敏雄の症状
≪証拠省略≫を総合すれば、亡敏雄は、事故直後入院した慶応病院においては、右片不全麻痺、失語症の病状を呈し、検査において外傷は認められず、心電図における左室肥大、心筋障害、眼底所見KWⅡb、左眼は以前の出血後遺と考えられる白斑、白線が認められ、血圧は最高二一〇、最低一一八を示していたほか、両眼の対光反射欠如、骨動脈硬化、右バビンスキー反射等脳血栓ないし脳内出血に一般にみられる症状が認められて、脳卒中の診断を受け、入院当初の約一月半の間にさしたる病状の進行がなかったことから、担当医師武田宏は、これを脳血栓によるものと判断していたこと、事故の約一年八月後、リハビリテーションのため韮山病院に転院した段階では、麻痺状態は、右片麻痺に進行して脳左側の内出血によるものと診断され、失語症は第五群に相当するものと判定されたことがいずれも認められる。
右症状の経過に照らせば、亡敏雄には事故前から長期にわたって動脈硬化および高血圧があったことおよび本件事故後の同人の症状は脳左側の障害(出血ないし血栓)に基因するものであることを認めることができるが、右症状自体は本件事故による閉鎖性外傷に基因するものとしてもあるいは高血圧症に基因するものとしてもいずれも説明可能であって、これだけからそのいずれと断定することはできない。
3、本件事故の寄与度
以上1、2の認定を綜すると、亡敏雄は事故前から動脈硬化および高血圧の持病ないし体質を有していたところ、その持病ないし体質を基盤とし、本件事故による頭部打撲が直接の契機となって、脳左側に損傷を生じ、よって前認定の症状の発現をみるに至ったものと推認するのほかはない。
このように、傷害が、被害者自身の帯有する持病ないし体質を基盤とし、事故が契機となって発生した場合には、傷害による損害の全部を事故による損害とするべきではなく、傷害に対する双方の寄与の程度を勘案して、事故の寄与している限度において相当因果関係が存するものとして、その限度で加害者に賠償責任を負担させるのが、公平の理念に照らし相当である。そして以上認定の諸事情に照らし、本件においては、全損害のうち五割の程度において本件事故と相当因果関係を肯定するのが相当である。
(三) 過失相殺
被告らは、亡敏雄の損害につき、被害車運転者平井の過失を斟酌すべき旨主張するのでこの点につき判断する。
≪証拠省略≫を総合すれば、亡敏雄は、大正六年三月川崎重工の前身である株式会社川崎造船所に入社し、昭和二五年八月には川崎重工社長に就任し、同三六年七月同会長を経てさらに同三九年一二月には同社を含めたいわゆる川崎グループ四社の相談役に就任し、川崎重工においては昭和二五年以来十数年間にわたって経営陣の最高首脳者の一人として活躍していたことが認められ、一方、訴外平井は、昭和二六年六月から川崎重工に勤務し、主として重役専用車の運転手として職務に励み、亡敏雄が社長の当時から同人を乗せて運転することが多く、いわば多年にわたり同人に仕えてきた立場にあって、本件事故当時も川崎重工所有の被害車を運転して、事故の前日から引き続き専ら同人の行動に伴ってその輸送に当っていたことが認められる。
そうすると、亡敏雄と訴外平井は、ともに川崎重工に勤務する者であり、訴外平井の過失が否定されない場合には、川崎重工も被害車の運行供用者として被告らとともに亡敏雄に対する共同不法行為責任を負うべき場合であるけれども、亡敏雄の川崎重工における前記経歴、地位ならびに訴外平井のそれを勘案するならば、損害の公平な分担を目的とする過失相殺制度の趣旨に鑑み、亡敏雄の損害の填補およびその後の清算関係において、右平井と亡敏雄とは、被告らに対する関係では、使用者と被用者に準ずるものとして一体関係にあるものとみて、平井に過失がある限りこれを被害者側の過失として本件賠償額算定に当り斟酌するのが相当というべきである。
そこで、本件事故態様をみるに、≪証拠省略≫を総合すれば、次の事実が認められる。
1、本件事故現場は、南北に通ずる両側にそれぞれ幅員二・八米、二・五米の歩道がある車道幅員七・三五米の道路(甲道路という)に、西側から歩車道の区別のない幅員五・五五米の道路(乙道路という)が合流する丁字型交差点内であり、乙道路は、甲道路から西方向への一方通行の規制が行われている。
2、被害車運転の訴外平井は、右交差点の乙道路入口付近に被害車の車首を西北方向に向けて停止して亡敏雄らを乗車させた後、これを甲道路の北に向けて進行させるため一旦甲道路中央付近まで後退させようとして、甲道路の北方を見たところ、一〇〇米位先まで交差点に向って来る車両はないものと認めて、後方のみを確認しながら甲道路内に斜めに徐々に後退させ、被害車後部が甲道路中央部分を約一米越えた地点まで後退させ、車首をほぼ西北方向に向けて一旦停止した。
3、被告橋本は、加害車を時速約四〇粁で運転して甲道路を左側歩道縁石から約八五糎の間隔をとって北から南に向け進行して本件交差点に差しかかったところ、乙道路入口付近にあって甲道路内に徐々に後退しつつある被害車を発見したが、同車が停止するかあるいは被害車側車線内で方向転換を完了するものと思ってそのままの速度で進行していたところ、被害車が甲道路中央部分まで後退して来てなお後退を中止する気配がないのに察して急制動の措置に出てわずかにハンドルを左に切ったが及ばず、左右約一〇・七米のスリップ痕を残して停止寸前に被害車右側後部に、加害車右前部を衝突させた。
以上の事実が認められ、右認定を動かすに足りる証拠はない。
そうすると、本件事故発生について、被告橋本には、被害車の動静に注意してこれに適応して停止しうるよう予め減速すべき注意義務を怠った過失があるとはいえ、一方、訴外平井は、加害車進路側への注意を欠いたまま、道路中央部分を越えて加害車進路に後退して進入するという異常な運転により、その進行を妨害した過失があり、これが本件事故に与って大であったというべきであるから、本件賠償額算定に当っては、同人の右過失を斟酌してこれを略六割程度減額するのが相当というべきである。
(四) 損害の数額
1、入院治療費残額 一九四万円
≪証拠省略≫を総合すれば、亡敏雄は、前記入院治療のため、川崎重工が支払った慶応病院分二八九万一七六六円および韮山病院の昭和四二年二月までの分四〇四万六六〇〇円(川崎重工支払総額六九三万八三六六円から右慶応病院分を控除した額)のほか、韮山病院における昭和四二年三月以降の入院治療関係費として二七二万一八〇〇円を支払い、総計九六六万〇一六六円の治療費を要したことが認められるが、前記本件事故の寄与度、過失相殺を勘案すれば、右賠償額としては、川崎重工支払分を除き、右金額をもって相当というべきである(川崎重工支払分は被告らの賠償額に影響しない。)。
2、医療器具、薬品等購入費 七万円
≪証拠省略≫によれば、亡敏雄は本件傷害による右購入費用として合計三四万〇七二五円を要したことが認められるが、前記本件事故の寄与度、過失相殺を勘案すれば、賠償額としては、右金額が相当である。
3、付添看護費 八三万円
≪証拠省略≫によれば、亡敏雄の本件傷害により常時一人ないし数人の付添看護が必要であったことおよびこれによりその主張の四一三万五七四五円を下らない費用を負担したことが認められるが、前記本件事故の寄与度、過失相殺を勘案すれば、賠償額としては、右金額が相当である。
4、入院雑費 三万円
原告ら主張の入院中の補食費、入院雑費を含めて、前記入院期間約二六月につき、一月当り六〇〇〇円(一日約二〇〇円)の割合による合計一五万六〇〇〇円程度をもって相当というべきところ、前記本件事故の寄与度、過失相殺を勘案して、賠償額としては右金額が相当である。
5、付添交通費 六万円
≪証拠省略≫によれば、亡敏雄の妻である原告慶子は、同人の韮山病院入院中、同病院に赴く交通費としてその主張の五三万六二八〇円程度を要したことが認められるが、前記のとおり同人には常時職業的看護人が付添っていたことおよび前記本件事故の寄与度、過失相殺を勘案すれば、賠償額としては右金額が相当である。
6、看護人等宿泊費 五万円
≪証拠省略≫によれば、亡敏雄は伊豆韮山における看護人ないし来訪者の宿泊費として合計七六万〇一五七円を負担したことが認められるが、右書証中には飲酒料、土産代等の記載があり、旅館における宿泊費は必ずしもすべてが付添看護に要した費用とは認め難く、右書証中、≪証拠省略≫については、亡敏雄の韮山病院入院中、特に月極めで借り受けた看護人等宿泊費と推認されるのでその合計二三万五〇〇〇円の限度で相当性ある損害と認めうるところ、前記本件事故の寄与度、過失相殺を勘案すると、賠償額としては右金額が相当である。
7、逸失利益 一三七万円
≪証拠省略≫によれば、亡敏雄は、本件傷害のため、神港ビル監査役を昭和四一年二月退任し、翌三月から昭和四四年七月三〇日死亡まで四一月間にわたり月収一一万円の割合による合計四五一万円の所得を失い、またラジオ関西監査役、関西テレビ取締役を退任したため同四二年六月以降死亡までの二六月間にわたり、関西テレビ分八万円とラジオ関西分一万円の計九万円の割合による合計二三四万円の所得を失い、結局総計六八五万円の所得を失ったことが認められるが、前記本件事故の寄与度、過失相殺を勘案すれば、賠償額としては右金額が相当である。
8、亡敏雄の慰藉料 一〇〇万円
前記諸事情その他諸般の事情を考慮すれば、亡敏雄の本件傷害による精神的苦痛を慰藉すべき額としては右金額が相当である。
9、原告らの相続
亡敏雄は、以上のとおり合計五三五万円の賠償請求権を有していたところ、≪証拠省略≫によれば、亡敏雄は、本訴提起後、急性肺炎によって死亡し、原告慶子は妻として、その余の原告三名は子として、それぞれ相続分に従って原告慶子において一七八万三三三三円その余の原告三名において各一一八万八八八八円宛、右賠償請求権を相続したものと認められる。
10、原告慶子は夫たる亡敏雄の受傷に基づく固有の慰藉料請求権を主張するが、受傷に基づく近親者の慰藉料請求権は原則として認められず、事故に基づく受傷の結果が死亡に準ずると考えられるほど重大な場合に限り、民法七一一条の準用により例外的に認められるにすぎないものと解すべきところ、前認定のとおり亡敏雄には従前から動脈硬化および高血圧があって、本件受傷がこれを基盤として発生したものであることに鑑み、本件は右例外の場合に当らないと解すべきである。
よってこの主張は失当である。
四、(結論)
よって、原告らの本訴請求は、被告ら各自に対し、原告慶子において一七八万三三三三円、その余の原告三名において各一一八万八八八八円およびこれらに対する訴状送達の翌日である昭和四三年二月二三日以降各完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行宣言につき同法一九六条に従い、主文のとおり判決する。
(裁判官 浜崎恭生 裁判官 鷺岡康雄 裁判長裁判官坂井芳雄は、国外出張のため署名押印できない。裁判官 浜崎恭生)